
従業員が自殺した——この事実に直面した経営者・人事担当者が、冷静に法的対応を考えることは容易ではありません。しかし、初動の対応を誤ると、遺族との関係悪化・労災認定・損害賠償請求という三重のリスクが同時に顕在化することがあります。
本コラムでは、従業員の自殺という最も困難な局面において、会社側が取るべき対応を段階ごとに解説します。法的なリスクの把握と、具体的な行動指針の両方を示すことが目的です。
1.まず大前提——遺族への対応は誠意をもって
法的な対応を論じる前に、一点だけ申し上げます。亡くなった従業員の遺族に対して、哀悼の意をもって誠実に接することは、会社として当然のことです。この姿勢を欠いたまま法的対応だけを優先しようとする会社に対しては、法的な助言以前の問題として指摘せざるを得ません。
具体的には、通夜・葬儀には会社として然るべき立場の人間(代表者または役員)がきちんと参列することが求められます。「担当者だけ出席すれば十分」という判断は、遺族の感情を著しく傷つけることがあり、その後の交渉・対応全体に影響します。
その後の遺族対応では、従業員の私物の返還と会社貸与物(社員証・PC・携帯電話等)の返却が生じます。このやり取りのタイミングと方法を誤ると、遺族との関係が一気に悪化することがあります。返還・返却は、遺族の状況を見極めたうえで、適切な間隔を置いて丁寧に行うことが重要です。
遺族から勤務状況・職場環境について尋ねられた場合は、隠そうとするべきではありません。誠実に回答することが基本姿勢です。ただし、自殺直後は事実調査の段階にあるため、「現在調査中です」という回答になることを丁寧に説明し、調査結果が出た段階で改めて説明する機会を設けることが適切です。
2.会社が把握すべき2つのリスク
誠実な遺族対応と並行して、会社として法的リスクを正確に把握することが必要です。主なリスクは2つです。
- 遺族による労災申請:業務上の自殺として労災認定された場合、会社は労働基準監督署の調査対象となります
- 遺族からの損害賠償請求:会社の安全配慮義務違反(労働契約法第5条)を根拠とした民事上の損害賠償請求
これら2つのリスクを正確に評価するために必要なのが、自殺に至る経緯の客観的な把握です。特に重要なのは、①自殺の原因(業務上のストレス要因の有無・内容)と、②自殺の予兆(体調不良・欠勤・言動の変化等)の2点です。
3.事実調査の進め方——順番が重要
事実調査は、会社側が法的リスクを評価するうえで最も重要な作業です。ここで重要なのは、調査の順番です。闇雲にヒアリングから始めると、関係者の記憶や証言が後の客観資料と乖離し、かえって事実の把握を困難にすることがあります。
① 客観的な資料の収集・保全を先行させる
まず手をつけるべきは、客観的な記録の収集と保全です。具体的には以下のものが対象となります。
- タイムカード・勤怠記録(残業時間の把握)
- PCのログ履歴・入退館記録(実際の在社時間の把握)
- 業務日報・週報・進捗報告書
- メール・チャットの記録(業務量・上司や同僚とのやり取り)
- 人事評価記録・面談記録
- 健康診断結果・産業医との面談記録
- 過去の欠勤・遅刻・早退の記録
これらは、時間の経過とともに失われたり改ざんリスクが生じる可能性があるため、早期に保全することが重要です。特にデジタルデータは、担当者のPCやサーバーから適切な方法で保全します。
② 客観資料の分析後にヒアリング対象者を決める
客観資料を収集・分析したうえで、初めてヒアリングの対象者と内容を決めます。「とりあえず上司から話を聞く」という進め方は避けるべきです。客観資料を先に分析することで、誰に・何を・どの順番で聞くべきかが明確になり、ヒアリングの精度が上がります。
ヒアリングでは、客観資料との整合性を意識しながら事実を聴取します。「資料ではこうなっているが、実態はどうだったか」という確認が、事実の精度を高めます。また、ヒアリングの内容は必ず記録化し、可能であれば確認書等に署名をもらっておきます。
③ 調査結果の遺族への開示は慎重に
調査結果を遺族に開示する場合、ヒアリング内容の取り扱いには慎重さが必要です。ヒアリング対象者(同僚・上司等)の具体的な発言内容をそのまま開示することは、特定の個人への攻撃につながる可能性があります。開示にあたっては、ヒアリング対象者の同意を得る、匿名化するといった配慮が求められます。
4.労災認定の判断基準——会社として知っておくべき数字
労災や損害賠償責任が認められるための要件として、まず第1段階は「業務によって精神障害が発病した」といえるかどうかを把握する必要があります。具体的な要件は以下の3つです。
- 対象疾病(うつ病、適応障害など)を発病していること
- 対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
- 業務以外の心理的負荷や本人の要因により対象疾病を発病したとは認められないこと
この3つが認められる場合、業務により精神疾患を発病した結果として自殺したという因果関係が原則的に認められます。
このうち「強い心理的負荷」がどのようなときに認められるのか、厚生労働省の通達(令和5年9月1日付け基発0901第2号「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書を踏まえた精神障害の労災認定基準の改正について」)において、心理的負荷評価表による判断基準が示されています。
長時間労働との関係では、発病直前の1か月におおむね160時間以上、または3週間におおむね120時間以上の時間外労働を行った場合は「特別な出来事」として直ちに心理的負荷「強」と評価されます。それに至らない場合でも、発病直前の連続した2か月間に1か月あたりおおむね120時間以上、または連続した3か月間に1か月あたりおおむね100時間以上の時間外労働が認められる場合には、心理的負荷が「強」と評価されます。また、1か月おおむね100時間の恒常的な長時間労働がある場合には、他の出来事(転勤・配置転換・仕事上のミスへの対応など)の心理的負荷の評価を引き上げる要素となります。
長時間労働以外にも、パワーハラスメント・セクシュアルハラスメント・カスタマーハラスメント・達成困難なノルマ・感染症等の危険性が高い業務への従事といった事情も、令和5年改正後の評価表において「強」に該当しうるものとして明示されています。労働時間の基準に達していない場合でも、これらのストレス要因と組み合わせて総合的に評価され、心理的負荷「強」と認定されることがあります。労働時間だけで会社の責任の有無を判断することはできません。
5.労災申請への会社の関与——事業主証明の実務
遺族が労災申請を行う場合、会社は労災保険請求書の「事業主証明欄」への署名・捺印を求められます。この対応について、実務上の正しい理解が重要です。
事業主証明は、証明できる範囲内で行えば足ります。申請書に記載された事実をすべて認める必要はありません。請求書に記載された事実と会社の認識が異なる場合は、その旨を証明欄に記載するか、別紙として「会社として認識している事実の範囲での証明である」旨を付記することが適切です。
一方で、単に署名を拒否するという対応は、会社として誠意ある対応とは評価されません。証明できる範囲で誠実に対応しながら、異なる認識については明確に記載する——これが実務上の正しい対応です。
6.損害賠償請求に発展した場合
遺族から損害賠償請求がなされた場合、会社側の責任の有無・範囲は、安全配慮義務違反(労働契約法第5条)の有無を中心に判断されます。具体的には、長時間労働の実態・ハラスメントの有無・会社として講じていた予防措置(産業医面談・メンタルヘルス対策・相談窓口の設置等)の内容が争点になります。
会社側として不必要・不相当な賠償義務を抱えないためには、事実調査の段階から弁護士が関与し、法的なリスク評価を踏まえた対応方針を立てることが重要です。遺族との交渉・和解の場面では、事実調査の結果と法的評価を踏まえたうえで、バランスの取れた解決を目指すことになります。
なお、遺族から労働審判の申立書が届いた場合の初動対応については「労働審判を申し立てられた会社側の対応」をご参照ください。
まとめ
① 通夜・葬儀への然るべき立場の人間の参列、私物返還・貸与物返却のタイミング管理、勤務状況への誠実な回答——遺族対応の基本姿勢が、その後の法的対応全体に影響します。
② 事実調査は客観資料の収集・保全を先行させ、分析後にヒアリング対象者を決めます。調査結果の遺族への開示は匿名化・同意取得など慎重に行いましょう。
③ 労災認定の目安は月80〜100時間超の時間外労働ですが、ハラスメント等のストレス要因がある場合はより短い労働時間でも認定されうることに注意しましょう。
④ 事業主証明は証明できる範囲で行えば足ります。異なる認識は別紙記載で対応し、単純な署名拒否は避けましょう。
⑤ 損害賠償請求に発展した場合は、安全配慮義務違反の有無が中心的争点です。早期から弁護士が関与することで、不当な賠償リスクを回避できます。
従業員の自殺という事案は、法的対応と人としての誠意の両方が同時に求められる、最も難しいケースの一つです。当事務所では、使用者側の立場から、初動対応・事実調査・労災対応・損害賠償交渉まで一貫してサポートしています。「どう動けばいいかわからない」という段階でのご相談が、最も適切な解決につながります。
従業員がメンタル不調を抱えている段階での会社側の対応については、「メンタル不調の従業員に休職を命じるタイミングと手順」をご参照ください。
休職後の復職可否の判断については、「メンタル不調で休職した従業員の復職の可否」をご参照ください。
2006年弁護士登録以来、企業法務、事業再生・債務整理、税務関係、交通事故、消費者事件、知的財産権関係、家事事件(相続・離婚その他)、
その他一般民事、刑事事件、少年事件に取り組む。講演実績は多数あり、地域経済を安定させる、地域社会をより良くしていくことに繋がる。
こう確信して、一つ一つの案件に取り組んでいます。
※日本全国からのご相談に対応しております。











