介護事故で施設が責任を負う分かれ目——判断が割れる理由と、平時に確保すべき記録を弁護士が解説

介護施設で事故が起きたとき、施設長や管理者が最初に直面するのは「これは施設の責任になるのか」という問いです。

結論から述べると、事故が起きたこと自体で施設が責任を負うわけではありません。転倒は、どれだけ体制を整えていても一定の確率で起こります。裁判所も、そのことを前提に判断しています。

責任の分かれ目は、その事故が予見できたか、予見できたとして防ぐ手立てを尽くしていたかにあります。そしてもう一つ、見落とされがちな分かれ目があります。事故そのものに過失がなくても、事故のあとの対応で責任を負うことがあるという点です。

当事務所でも、施設側から転倒事故についてのご相談をお受けしています。本記事では、使用者側・事業者側の立場から、責任の判断基準と、事故直後にすべきことを整理します。

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1.介護事故で施設が責任を負う基準

1.1 責任の根拠は3つある

利用者や家族が施設に損害賠償を求めるとき、法的な根拠は次の3つが使われます。

根拠 条文 内容
債務不履行(安全配慮義務違反) 民法415条 介護サービス契約に基づき、利用者の生命・身体の安全に配慮する義務を怠った
不法行為 民法709条 職員の過失により利用者に損害を与えた
使用者責任 民法715条 職員の不法行為について、使用者である法人が負う責任

実務では、これらが同時に主張されることがほとんどです。ただしいずれの構成でも、争点の中身はほぼ同じになります。施設が果たすべき注意義務の内容と、それを果たしたかどうかです。

1.2 予見可能性——何をどこまで予見すべきか

安全配慮義務違反は、予見可能性と結果回避義務の2段階で判断されます。

予見可能性とは、その利用者にその事故が起こりうると分かっていたか、あるいは分かるべきだったか、ということです。「高齢者はいつか転ぶものだ」という一般論では足りません。その利用者の個別の状態に即して判断されます。

裁判例で重視されているのは、次のような事情です。

●過去の転倒歴(施設内か、自宅や病院でのものも含むか)

●下肢の筋力低下、麻痺、歩行の安定性

●認知症の有無と程度、指示が通るかどうか

●服薬の影響(睡眠導入剤、降圧剤など)

●主治医やケアマネジャーからの申し送り

●家族からの要望・申し出

アセスメント記録とケアプランに何が書かれているかが、そのまま予見可能性の判断材料になります。「転倒リスク高」と書いておきながら何の対策も取っていなければ、施設は自ら予見可能性を認めたことになります。

1.3 結果回避義務——「常時付き添う以外に防げない」なら義務違反にならない

予見可能性が認められても、それだけで責任になるわけではありません。予見できる危険に対して、期待される対策を講じていたかが次に問われます。

そしてここには、施設側にとって決定的に重要な考え方があります。ある対策を取っていれば事故を防げたといえるのか——結果回避可能性です。

この点を正面から示したのが、福岡高等裁判所 平成24年12月18日判決(平成24年(ネ)第605号/賃金と社会保障1591・1592号121頁)です。

介護老人保健施設に入所していたレビー小体型認知症・要介護1の82歳の女性が、入所9日後にシルバーカーを使用中に転倒し、下顎体部を骨折して咀嚼機能を全廃した事案でした。

注目すべきは、この事件の経過です。

審級 結論
福岡地裁大牟田支部 平成24年4月24日
(平成22年(ワ)第97号)
2,719万8,783円の認容
福岡高裁 平成24年12月18日
(平成24年(ネ)第605号)
原判決を取り消し、請求を棄却
最高裁第二小法廷 平成26年12月24日決定
(平成25年(オ)第530号・同(受)第641号)
——

同じ事実について、一審は2,719万円を認容し、控訴審は全部棄却しました。これほど判断が振れるのが、介護事故訴訟の実情です。

控訴審が請求を退けた理由の核心は、次の一文です。

転倒はその性質上突発的に発生するものであり、転倒のおそれのある者に常時付き添う以外にこれを防ぐことはできない——したがって、職員が利用者の動静を把握できない時間があったとしても、そのこと(動静把握を怠ったこと)がなければ事故を回避できたとは認められない。

つまり、常時付き添う義務まではないと認められる限り、見守りが途切れたこと自体を義務違反とすることはできないという組み立てです。

加えて裁判所は、予見可能性についても否定しました。施設は家族から転倒防止に留意するよう要望を受けたことを踏まえ、①歩行時にシルバーカーを用いるよう本人に注意し、②シルバーカーにおもりを入れて安定性を確保していました。そして本件以外にシルバーカー使用時の転倒はなかった。これらから、具体的な予見可能性は認められないとされています。

この判決が重要なのは、原告が挙げた対策のすべてを、結果回避可能性という同じ切り口で退けている点です。

原告が主張した「やるべきだったこと」 退けられた理由
家族への説明義務・周知義務 履行しても事故を回避できたとは認められない
介護職員の員数を確保すべき義務 付き添う義務がない以上、員数を増やしても回避できない
ヘッドギアの使用 転倒自体を防げず、傷害は頭部ではなく口腔部に生じた
床への緩衝材の設置 事故は通路部分で発生。緩衝材には段差と弾性があり、その上を歩行するには適さない
センサー付きマット、シルバーカーに鈴、転倒転落アセスメントスコアシートの導入 いずれも事故の回避に直接つながらない
床材の見直し(畳・カーペット地) 清掃・維持が困難になる可能性があり、介護老人保健施設において畳等を使用することが一般的であるとまでは認められない
期待権侵害 介護の態様が著しく不適切であった場合に検討しうるにとどまる(最判平成23年2月25日・集民236号183頁を引用)

最後から2つ目の判示に注目してください。「その対策は介護現場で一般的ではない」という反論が、正面から通っています。施設側が結果回避義務を争うときの主戦場はここです。

そしてもう一点。この施設では、事故から約1年後に衝撃緩和マットが導入されていました。その事実は判決でも認定されています。にもかかわらず、責任の根拠にはされていません。事故後に対策を講じたことが、当時の義務を基礎づけるわけではないという扱いです。

1.4 配慮した内容を、具体的に記録しておく

もう一つ、施設側が勝った例を見ます。名古屋地方裁判所 令和6年2月7日判決(令和4年(ワ)第3141号/自保ジャーナル2174号171頁。確定)です。

脳梗塞による嚥下障害を抱え、要介護5で全面介助を要していた入所者が、おやつに提供されたバウムクーヘンを誤嚥して死亡した事案でした。遺族の請求は全部棄却されています。

裁判所が重視したのは、次の事実です。

①入院中のリハビリで嚥下能力が改善し、嚥下調整食4(誤嚥や窒息のリスクはあるが、嚥下機能・咀嚼機能の低下の程度が軽度である者に提供されることを想定した食事)を経口摂取できる水準まで回復していた

②施設でも入所当初から嚥下調整食4に相当する粥や刻み食を提供し、その後普通食のおやつを提供する旨の栄養ケア計画書を作成し、家族の同意を得ていた

③その後、事故に至るまでケーキ、饅頭、きなこ餅などの普通食のおやつを継続して摂取できていた

④事故当日のバウムクーヘンは、小袋一切れを8個程度に細切れにしたもので、一片が縦横高さいずれも2センチメートル程度。嚥下障害に配慮して摂食しやすい大きさで提供されていた

遺族は「事故の2日前の昼食でも嚥下障害の症状が出ていた」と主張しましたが、裁判所は、その症状の具体的な態様や状況の詳細が明らかでないこと、他に嚥下障害を疑うべき症状が現れた証拠がないことから、一過性のものであった可能性も否定できないとしました。

この判決から読み取るべきことは2つあります。

食形態の決定を、計画書と家族の同意という形で残しておくこと。そして配慮した内容を、具体的な数値で記録しておくこと。「小さく切った」ではなく「2センチ角に切った」まで残っていたから、配慮の事実が認定されました。

1.5 結論は割れている——11件を並べる

近年の裁判例を並べると、結論がどれだけ割れているかが見えます。

裁判所・年月日 事案 結論
名古屋地判 令和6年2月7日
(自保ジャーナル2174号171頁)
要介護5の入所者がおやつのバウムクーヘンを誤嚥し死亡 請求棄却
嚥下能力の回復、栄養ケア計画書と家族の同意、2センチ角への配慮を認定
福岡高判 令和8年4月17日
(令和7年(ネ)第792号)
住宅型有料老人ホームの入所者が就寝中の嘔吐による誤嚥窒息で死亡 控訴棄却(施設勝訴)
1年5か月前の嘔吐や軽快退院した逆流性食道炎では具体的予見可能性を基礎づけない
福岡高判 平成24年12月18日
(賃金と社会保障1591・1592号121頁)
認知症・要介護1の82歳がシルバーカー使用中に転倒、咀嚼機能全廃 一審2,719万円認容 → 控訴審で請求棄却
常時付き添う以外に転倒は防げないとして結果回避可能性を否定
東京地判 平成25年5月20日
(判例時報2208号67頁。確定)
通所介護の送迎車両から降りようとして転倒、大腿骨頸部骨折。翌朝まで受診させず 一部認容 20万円(請求1,370万円)
転倒は義務違反なし。受診が遅れた点のみ慰謝料
静岡地判 令和6年2月22日 ショートステイ利用中の100歳が深夜トイレ前で転倒、上腕骨骨折 一部認容 230万円
(請求548万円。上告審は令和7年7月10日最高裁決定)
東京高判 令和7年5月21日 92歳の入院患者が転倒し骨折(病院の事案) 原判決維持 332万円
入院時アセスメントで最高危険度と評価していた
名古屋地判 令和7年3月25日 居室で朝食介助後、職員が約30分離席した間に誤嚥し死亡 一部認容 各1,130万円
事故前5日間の介護記録に嚥下低下の記載
広島地判 令和5年11月6日 ショートステイ利用中の94歳がおやつのゼリーを誤嚥し死亡 一部認容 2,365万円
過失相殺・素因減額の主張を排斥
名古屋地判 令和5年8月7日 パーキンソン病の入所者がロールパンを誤嚥し死亡 一部認容 計約2,490万円
約1か月前のむせ込みが共有・分析されていなかった
広島地判福山支部 令和5年3月1日 介護老人保健施設の入所者が深夜に居室内で転倒し死亡 全部認容 1,650万円
転倒時の重大傷害を回避する対策を欠いたと判断
東京地判 令和5年5月9日 デイサービスの介護職員が介助中に負傷(原告が職員) 一部認容 429万円
人員配置・2人介助体制・マニュアルの不備

同じ誤嚥事故で、一方は請求棄却、他方は2,000万円を超える認容です。結果の重大さが結論を決めているわけではありません。

また、最後の1件に注目してください。施設は、利用者側からだけでなく職員からも訴えられます。この点は8.で述べます。

1.6 判断は割れる——どこで結論が分かれるのか

ここまで読んで、基準がはっきりしないと感じられたかもしれません。実際、そのとおりです。同じ転倒事故、同じ誤嚥事故でも、裁判所の結論は割れます。請求が全部認められる事案もあれば、全部棄却される事案もあります。

近年の裁判例を並べて見ると、分かれ目は次の3点に集約されます。

①危険が「その利用者について」「その場面で」具体的に書かれていたか

「高齢で嚥下機能が落ちている」という一般的な記載では、予見可能性は認められにくい。他方、他院の診療録に「とろみなしでは誤嚥の危険性が高い」といった具体的な記載があれば、責任は肯定されやすくなります。記録の抽象度が、そのまま結論を左右します。

②直前の異変が、一過性のものと評価されたかどうか

事故の数日前にむせ込みがあった、という事実は、両方向に振れます。それが継続的な機能低下の表れだと評価されれば責任は肯定され、一過性のものにすぎないと評価されれば否定されます。分かれ目は、その異変について施設が何を記録し、何を検討したかです。むせ込みを記録し、カンファレンスで検討し、食形態を見直していれば「対応した」と評価されます。記録がなければ「見過ごした」と評価されます。

③危険への対応が、具体的な行為として残っているか

これが最も大きい。シルバーカーに重りを入れた、食事を2センチ角に切り分けた、栄養ケア計画を作って家族の同意を得た——こうした個別具体的な対応の事実が認定されると、結果が重大であっても責任は否定される傾向があります。

逆に言えば、裁判所は「何もしていない施設」と「対応したが防げなかった施設」を区別しています。そして、その区別をつける材料は記録しかありません。

2.事故直後の初動——ここで結論が大きく変わる

責任の有無は事故の瞬間に決まるように見えますが、実際にはそうではありません。事故のあと、施設が何をしたかによって、紛争になるかどうかも、勝てるかどうかも変わります。

2.1 最も多い失敗は、報告の遅れ

ご相談を受けていて最も多いのは、報告が遅れたという問題です。

家族への連絡が遅れる。行政への報告が遅れる。そして、遅れたこと自体が「隠していたのではないか」という疑いを生みます。

事故の内容について施設に落ち度がなかったとしても、報告の遅れは、それだけで家族の不信を決定的なものにします。いったん不信が生まれると、以後の説明は何を言っても信用されません。示談での解決が難しくなり、訴訟に至る確率が上がります。

行政報告の期限については後述しますが、遅くとも5日以内という目安が国から示されています。ここを守れていないと、後から説明のしようがありません。

2.2 家族に謝罪すると、責任を認めたことになるのか

現場が必ず迷うのがこの点です。「謝ったら責任を認めたことになるから、謝るな」と指導している施設もあります。

実務的な感覚を申し上げると、家族に謝罪したとしても、後日の訴訟でそのことだけを理由に責任を認めた趣旨だと受け取られることはありません。

訴訟では、事実関係から責任の有無を検証します。誰がどの時点で何を認識し、どのような対応を取ったのか。その積み重ねで判断されるのであって、事故直後に発せられた謝罪の言葉が、法的な責任の承認として扱われるわけではないのです。

したがって、謝罪を過度に恐れる必要はありません。むしろ謝罪を避けることで家族の感情を悪化させ、紛争を大きくするほうが実害があります。

ただし、「施設の責任です」「賠償します」と法的評価に踏み込んだ発言は別です。事実関係の調査が終わる前に責任や賠償を明言することは避けるべきです。「このようなことが起きてしまい、申し訳ありません」という遺憾の表明と、「当施設に法的責任があります」という承認は、区別して扱ってください。

そしてもう一点、謝罪より危険なのは、説明の中身です。裁判では、事故後に施設が家族へ行った説明の内容そのものが認定され、事実関係の根拠として使われます。とりわけ、自分の対応を正当化しようとして付け加えた説明が、逆に不利に働きます。詳しくは5.で述べます。

2.3 転倒に過失がなくても、事後対応で責任を負う

初動の重要性を端的に示す裁判例があります。

東京地方裁判所 平成25年5月20日判決(平成23年(ワ)第33164号/判例時報2208号67頁。確定)です。

通所介護を利用していた高齢者が、一度乗り込んだ送迎車両から降りようとして転倒し、右大腿骨頸部を骨折した事案でした。施設は翌朝まで受診させていません。

裁判所の判断は、次のように分かれました。

①転倒について——義務違反なし。着席後も見守りを継続することは困難であり、着席した利用者が不意に動き出して車外に降りようとすることを予見するのも困難。常時見守るべき義務を負っていたとは認められない

②受診させなかった点について——義務違反あり。事故直後から本人が右足の付け根から腰部の痛みを訴えていた。医師に事故の状況と症状を説明して助言を受けていれば、骨折部分を固定し受診するよう指示を受けられたはずである

つまり——事故を防げなかったことに過失がなくても、事故のあとの対応が遅れれば、そこで別に責任が生じる。この構造は、施設側が最も見落としやすいところです。

ただし、金額の水準は冷静に見ておく必要があります。この事件で認められたのは慰謝料20万円です。請求額は1,370万6,000円でした。

裁判所は、翌日には受診して必要な措置を受けていること、施設の義務違反によって治療内容や治療期間に影響が生じたとも、認知症を進行させたとも認め難いことを踏まえて、この金額としています。

読み取るべきことは2つあります。

第一に、受診の遅れは「骨折そのものの賠償」にはつながりません。骨折は転倒によるものであり、転倒に義務違反がなければ、その損害の賠償義務は生じない。受診の遅れで賠償するのは、遅れたことによって余分に受けた苦痛に限られます。

第二に、それでも受診させるべきです。20万円で済んだのは、翌日には受診しており、後遺症や治療期間に影響が出ていなかったからです。受診の遅れが症状の悪化につながれば、その分の損害が上乗せされます。そして何より、受診させなかった事実は、家族の不信を決定的にします。

転倒を目撃した、あるいは本人が「痛い」と訴えている。外見上は大きな異常がない。このとき「様子を見ましょう」と判断しないことです。

そして、この判決がもう一つ示しているのは医師に相談する形でも足りるということです。裁判所は「医師に対し、事故の状況やその後の症状等について説明をしたうえで、痛みの原因や必要な措置に関する助言を受けていれば」と述べています。夜間で受診が難しければ、まず配置医や協力医療機関に連絡して指示を仰ぐ。その記録を残す。これで足ります。

3.行政への事故報告

3.1 報告の対象と期限

市町村への事故報告については、国が標準的な様式と取扱いを示しています。「介護保険施設等における事故の報告様式等について」(令和3年3月19日 老高発0319第1号・老認発0319第1号・老老発0319第1号/介護保険最新情報Vol.943)です。

項目 内容
報告対象 ①死亡に至った事故 ②医師(施設の勤務医、配置医を含む)の診断を受け、投薬・処置等何らかの治療が必要となった事故。これらは原則として全て報告する。その他の事故は各自治体の取扱いによる
第1報の期限 様式の1〜6の項目について可能な限り記載し、事故発生後速やかに、遅くとも5日以内を目安に提出する
その後 状況の変化等に応じて追加の報告を行う。事故の原因分析や再発防止策は、作成次第報告する
対象事業者 介護保険施設のほか、認知症対応型共同生活介護、特定施設入居者生活介護、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅、養護老人ホーム、軽費老人ホームでも活用が求められている

注意していただきたいのは、「医師の診断を受け、何らかの治療が必要となった事故」は原則として全て報告対象になるという点です。骨折に至らない打撲や擦過傷でも、受診して処置を受ければ報告の対象になり得ます。

3.2 当初の説明と報告書の食い違いが、不信を呼ぶ

ここが実務上、最も注意すべきところです。

事故直後、家族に対して状況を口頭で説明します。その後、調査を経て行政に報告書を提出します。このとき、最初に家族へ説明した内容と、後日判明して行政報告書に記載した内容が食い違うことがあります。

食い違いの中身が些細なものであっても——発見した時刻が15分ずれている、発見者が誰だったかが違う、といった程度でも——家族はそこに不信感を持ちます。「最初の説明は嘘だったのか」「都合の悪いことを隠したのではないか」となる。

この不信は、事故の責任論とは無関係に生まれ、そして責任論より強く紛争を長引かせます。

防ぐには、最初の説明の段階で、確定していることと未確定のことを分けて伝えることです。

①この時点で確認できている事実はこれです

②まだ確認できていない点はこれです

③調査のうえ、判明し次第あらためてご報告します

この3点を明示しておけば、後から内容が変わっても「調査の結果、当初お伝えした点が修正になりました」と説明できます。断定的に説明してしまうと、あとで修正する余地がなくなります。

3.3 報告書の原因欄に、結論を書かない

もう一つ、報告書の書き方で注意すべき点があります。市町村への事故報告書は、そのまま訴訟の証拠になります。相手方が施設に開示を求めるか、自治体に対して情報公開請求をすれば入手できます。

実際に、施設が事故報告書の原因欄に「見守り切れなかったことに尽きる」と記載していた事案があります。この記載は、利用者側が提出した証拠として判決の冒頭に引かれ、責任を認める方向の事実として扱われました。

報告書に記載すべきなのは事実です。いつ、誰が、何を確認し、どう対応したか。これに対して、原因の評価や自己批判は、書く必要がありません。原因分析と再発防止策は、国の取扱いでも「作成次第報告する」とされており、第1報の時点で結論を書くことは求められていません。

誠実に書こうとして自らを断罪する表現になっていないか、提出前に読み返してください。誠実さは、事実を正確に、漏らさず書くことで示すものです。

3.4 追加報告の仕組みを使う

前掲の国の取扱いは、第1報のあとに「状況の変化等必要に応じて、追加の報告を行う」ことを明示的に予定しています。

つまり、最初の報告が不完全であること自体は制度上想定されています。問題なのは、内容が変わったのに更新しないことです。判明した事実は、追加報告として正面から出す。これが結果的に施設を守ります。

4.介護記録の扱い——補記と修正のルール

訴訟になったとき、最も重要な証拠は介護記録です。カルテと同じ扱いになると考えてください。

4.1 補記・修正は、理由があればしてよい

「記録は一切直してはいけない」と指導されることがありますが、実務上はそこまで硬直的に考える必要はありません。

理由があれば、補記も修正もしてかまいません。事故後に思い出したこと、他の職員から聞き取って判明したこと、時刻の誤記が分かったこと——いずれも記録として残すべき情報です。

問題は、どう直すかです。

4.2 理由と、修正前の記載も残す

守っていただきたいのは次の3点です。

①修正前の記載を消さない——上書き・塗りつぶし・削除をしない。二重線で消して、元の記載が読める状態を保つ

②修正の理由を書く——「〇月〇日、△△職員からの聞き取りにより判明したため修正」のように、なぜ直したのかを記載する

③修正した日時と氏名を書く——いつ誰が直したのかを明らかにする

この形を守っていれば、修正の存在はむしろ記録の信用性を高めます。調査を尽くした痕跡として評価されるからです。

実際、事故当日に書いた記録を、他の職員から「読みやすく書き直すように」と言われて斜線を引いたうえで書き直した事案があります。訴訟では当然そこを突かれましたが、裁判所は、訂正前の記載が読める状態で残っており、訂正後の内容も訂正前とほぼ同趣旨であることを確認したうえで、記録の信用性を問題にしませんでした。元の記載を残していたから成立した結論です。消していれば、間違いなく改ざんを疑われていました。

4.3 やってはいけないこと

逆に、次の行為は避けなければなりません。

●元の記載が読めないように消す(修正液、塗りつぶし、電子記録の上書き)

●修正の事実を隠して、最初からそう書いてあったかのように装う

●事故後に遡って、なかった記載を追加する(アセスメントや見守り記録を後付けする)

これらは改ざんと評価されます。そして改ざんが疑われた時点で、その記録全体の信用性が失われます。本来は施設に有利だったはずの記載まで信用されなくなる。失うものが大きすぎます。

電子記録システムを使っている場合は、修正履歴(ログ)が残る設定になっているかを確認してください。ログが残る仕組みであれば、後から「改ざんしていない」ことを立証できます。

5.紛争になったとき、相手方は何を突いてくるか

ここまでは施設側の視点で述べてきました。ここでは視点を変えて、利用者側の代理人が実際に主張してくる筋を整理します。どこを突かれるかが分かれば、平時に何を残しておくべきかも決まります。

5.1 主張のパターンは、ほぼ決まっている

近年の裁判例を通して見ると、利用者側の主張は次のいずれかに集約されます。

①入所前の医療情報に、危険を示す記載があった——前の病院の診療録や看護サマリーに「転倒を繰り返している」「とろみなしでは誤嚥の危険性が高い」といった記載があり、施設はそれを引き継いでいたはずだ、という主張です。施設が作った記録だけでなく、他院の記録まで遡って持ち出されます。

②過去に同種の事故やヒヤリハットがあった——一度起きているのだから予見できたはずだ、という筋です。

③家族が要望していたのに対応しなかった——要望の記録が残っていなければ、要望の事実だけが主張され、施設が何をしたかは残りません。

④職員の説明が記録に残っていない——訴訟で職員が「こう対応した」と証言しても、介護記録に対応する記載がなければ、その信用性が争われます。

⑤事故後の説明と記録が食い違う——家族への口頭説明、行政への報告書、介護記録の三者にずれがあると、そこを集中的に攻められます。

⑥事故後に再発防止策を実施した。当時それをしていれば防げたはずだ——後述しますが、この主張は退けられるのが通例です。

⑦見守り機器を導入していたのに作動していなかった——これも後述します。

とりわけ注意すべきは⑤です。事故後に家族へ行った説明そのものが、裁判で施設に不利な事実の認定根拠になることがあります。「一口食べていただいて、安全を確認したうえで他の利用者の対応に移りました」——こう説明すれば、家族には誠実な説明に聞こえます。しかし訴訟では「見守りを中断して並行作業をしていた」という事実の自認として扱われます。

だからといって説明をしないわけにはいきません。事実は正確に説明する。ただし、自分の対応を正当化しようとして余計な評価を付け加えない。「本人なりに安全と判断した」といった主観的な評価は、かえって危険です。

5.2 確保しておくべき資料

以上を踏まえると、平時から確保しておくべき資料は次のとおりです。紛争になってから集めようとしても、そのときには存在しません。

段階 資料 なぜ必要か
入所前 前の病院・施設からの診療情報提供書、看護サマリー、退院時要約 相手方は必ずここから危険の記載を探す。施設が何を引き継いだのかを、引き継いだ時点で確定させておく
入所前 主治医意見書、介護保険認定調査票 主治医の判断と調査票の評価が食い違うことがある。食い違いを認識したうえでどう判断したかを残す
入所時 アセスメント、ケアプラン リスクを書いたら対策も書く。リスクだけ書いて対策がないと、予見可能性だけが認定される
入所時 栄養ケア計画書、食形態の決定過程、家族の同意書 誤嚥事故では決定的。食形態を家族が同意していた事実は、施設を強く守る
日常 ケース記録、生活記録、看護記録、申し送り 職員の証言を裏付ける唯一の材料。記載がなければ証言だけで戦うことになる
日常 ヒヤリハット報告、カンファレンス記録 危険を把握して対策を検討した過程が残る。何もしていない施設との差はここに出る
日常 見守り機器の作動ログ、設定変更の記録 導入している以上、作動状況は必ず争点になる
事故時 事故報告書(発見時の見取り図を含む) 転倒の態様は見取り図で争われる。倒れていた位置、向き、周囲の物の配置まで記録する
事故時 発見時刻、バイタル測定値、確認した部位 血圧・体温・酸素飽和度の実測値が、受診させない判断の合理性を支える
事故時 救急要請の時刻と、要請までの経緯 対応の遅れが争われたときの中心証拠になる
事故後 家族への説明の日時・出席者・説明内容 説明内容は証拠になる。記録しておかなければ、家族側の記憶だけが残る
事故後 行政への報告書(第1報・追加報告)の控え 口頭説明との整合を後から検証できるようにしておく

この表のうち、施設が取りこぼしやすいのは入所前の医療情報と家族への説明の記録の2つです。前者は「前の病院の話だから」と軽く扱われがちですが、相手方は必ず取り寄せます。後者は、説明した本人の記憶だけに頼っている施設がほとんどです。

5.3 事故後の再発防止策は、不利に使われるか

「再発防止策を作ると、当時できたはずだと言われるのではないか」という懸念をよく聞きます。実際、利用者側からその主張がなされることもあります。

しかし裁判所はこの主張を、結果論にすぎないとして退けています。責任の有無は事故当時の予見可能性と結果回避義務で判断されるのであって、事故後に講じた対策から遡って当時の義務を導くことはできない、という整理です。

したがって、再発防止策の策定をためらう理由はありません。むしろ策定しないほうが、行政対応と家族対応の両面で不利になります。

5.4 見守り機器を導入すると、責任は重くなるのか

センサーマットや離床センサー、睡眠状態を検知する機器などを導入している施設は増えています。ここでも「導入すると、作動しなかったときに責任を問われるのではないか」という懸念があります。

この点について、導入が法令上義務付けられていない機器は、サービスの質の向上や職員の労務環境改善を目的として各施設が自主的に導入するものにすぎず、その存在によって注意義務の水準が引き上げられるわけではないという考え方が示されています。機器に不具合が生じてデータが取得できない間、正常に作動している場合と同程度の確認作業までは求められない、という判断です。

そしてこの判断の前提になったのが、契約書に定められたサービス内容でした。深夜帯について契約上定められていたのが身体介助・排泄介助・おむつ交換にとどまる以上、義務の範囲もそこで画される、という組み立てです。

実務への示唆は2つあります。

①見守り機器の導入をためらう必要はない。ただし、導入した以上は作動ログが争点になるため、記録は残す

②契約書・重要事項説明書に書かれたサービス内容が、注意義務の範囲を画する。「できる限り見守ります」といった過剰な約束を書き込むと、それが義務の根拠になりかねない。逆に、実施する内容を具体的に書いておけば、そこが基準になる

②は見落とされがちです。契約書は、営業資料ではなく、義務の範囲を定める文書です。実際に提供できることを、実際に提供できる水準で書いてください。

5.5 記録と食い違う説明をすると、失うものが大きい

最後に、訴訟になったときの姿勢について述べます。ここは施設側にとって最も痛い話です。

事故の状況を説明するとき、現場には「見守りができていなかったと言われたくない」という心理が働きます。その結果、「職員はそばにいた」「介助の最中に急に容態が変わった」という形で説明が整えられていくことがあります。

これが記録と食い違うと、二重に損をします。

第一に、証言の信用性を失います。事故当日に作成された介護記録、看護記録、救急隊の記録、搬送先の診療録——これらは事故直後に、それぞれ別の人間が、別の目的で作成しています。後から作った説明書面が、これら全部と食い違うことは起こり得ません。食い違えば、後から作ったほうが疑われます。現に、事故から1週間後に作成された施設の報告書について「その過程で作為が混入した可能性を否定することはできない」と判断された事案があります。

そして事故当日の状況を知る職員は、多くの場合ひとりです。その職員の証言全体が信用されなくなれば、施設に有利な事実も、もう立証できません。

第二に、こちらがより重要です。「ずっとそばにいた」と主張することは、そばにいるべきだったと認めることになります。

本来であれば、「ユニット定員10名に対して朝食時の介助職員は1名という体制の下で、居室の1名を常時見守りながらリビングの9名も見守ることは、制度上想定されていない」という反論が成り立つ余地があります。つまり義務の内容そのものを争う道です。

ところが「常時そばにいた」と主張してしまうと、常時見守りが義務の水準であることを前提に、履行したかどうかだけを争う構えになります。義務の水準を争う道が、自分の主張で閉ざされるのです。そして事実の主張が崩れたとき、「義務は認めたが履行していない」という最悪の位置に残されます。

ですから、弁護士から事実を聞かれたときは、記録に残っているとおりに話してください。不利に見える事実であっても、そこから組める主張はあります。実際に、事故の前日に食事のむせ込みがあったこと、就寝中の嘔吐の既往があったことといった不利な事実を前提にしながら、それらが具体的な予見可能性を基礎づけるとはいえないとして施設の責任が否定された例があります。

施設に有利な物語を作る必要はありません。記録という動かないものを土台にしたほうが、結果として強く戦えます。

6.賠償責任保険と弁護士の関係

この点は、施設側から見た実務の現実として、あらかじめ知っておいたほうがよい部分です。

6.1 保険会社が弁護士を選任する傾向がある

施設賠償責任保険に加入していれば、賠償金は保険でカバーされます。そして紛争が本格化した段階では、保険会社が弁護士を選任する傾向が強いと感じています。

実務上、次のような流れになることがあります。

①事故直後——施設が顧問弁護士に相談し、家族対応の助言を受ける

②相手方から受任通知が届く、あるいは訴訟が提起される

③保険会社が関与を強め、保険会社の選任した弁護士に交代する

つまり、初動で相談した弁護士と、訴訟を担当する弁護士が別になることが起こり得ます。

これを踏まえると、施設にとって重要なのは次の点です。誰が最後まで担当するかにかかわらず、事故直後の初動で残した記録と対応が、そのまま訴訟の土台になる。初動の質は、弁護士が誰であっても取り返しがききません。

6.2 保険でカバーされないものを前提に組み立てる

保険があるからといって、すべてが解決するわけではありません。カバーされない部分があることを前提に進める必要があります。

項目 扱い
見舞金 法的な賠償ではないため、保険の対象外となるのが通常。少額にとどめることが重要。高額にすると、責任を認めた前提での支払いと受け取られかねない
利用料の返還・減免 賠償ではないため保険の対象外。安易に応じると、事実上の賠償と評価される余地がある
行政対応(監査、改善報告) 保険の対象外。事業運営に直結するため、賠償とは別の軸で対応が必要
職員の精神的ケア・離職対応 保険の対象外。事故後に担当職員が離職するケースは少なくない

見舞金については、金額の大きさが後の交渉の基準になってしまう点に注意してください。数万円の見舞金であれば社会的儀礼の範囲と説明できますが、数十万円を渡してしまうと「施設も責任を認めていた」という主張の材料になります。

行政対応については、本来は弁護士が関与すべき領域だと考えています。監査への対応や改善報告書の内容は、後の民事責任の評価にも影響し得るからです。もっとも、この点まで踏み込んで対応する弁護士は現状では多くありません。当事務所としても、取り組みを深めていくべき課題と認識しています。

7.示談で終わらせるか、訴訟を受けて立つか

ご相談のなかで最も判断が難しいのが、この分岐です。

7.1 基準は、過失の有無

判断の中心に置くべきは、施設に過失があったかどうかです。

過失があると評価される事案であれば、早期に示談で解決することに合理性があります。訴訟になれば時間も費用もかかり、結論も大きくは変わりません。

問題は、過失がないと考えられる事案です。ここで「早く終わらせたい」という理由だけで金銭を支払うと、後述するとおり別の問題を生みます。

7.2 安易な譲歩が、職員を萎縮させる

これは金銭の問題にとどまりません。

施設が過失を認めて解決するということは、その職員の対応が不適切だったと施設が認めることを意味します。そして、その評価は今後の職員指導と職責の設定に直結します。

過失がないのに支払ってしまうと、現場にはこう伝わります。「あの対応でも責任を問われるのか」「そこまでの注意義務を負わされるなら、もう対応できない」。

職員の反発を招き、萎縮させ、結果として介護の質を落とします。身体拘束の増加や、リスクのある利用者の受け入れ拒否につながることもあります。

したがって、過失がないと判断した事案では、安易な譲歩をしないこと自体が施設運営上の意味を持ちます。これは家族に対して冷たいという話ではなく、職員が萎縮しない環境を守るという話です。

7.3 あえて示談を選ばない場合

もう一つ、示談を選ばない判断があります。

相手方の請求が明らかに過剰である場合、あるいは感情的になりすぎている場合です。

このようなケースでは、示談交渉を続けても着地点が見えません。譲歩すればさらに要求が積み増され、交渉自体が長期化します。施設側の担当者が疲弊し、本来の業務に支障が出ます。

そのような局面では、あえて示談を選ばず、訴訟の場で判断を仰ぐほうが合理的です。裁判所という第三者が入ることで、請求の水準が客観的な基準に引き戻されます。

「訴訟は避けるべきもの」という前提を一度外して考えることが、結果的に早い解決につながる場合があります。

8.職員個人への求償と処分

施設が賠償金を支払った後、その職員に求償できるかという問題があります。

民法715条の使用者責任を果たした使用者は、理屈のうえでは被用者に求償できます。ただし判例上、求償は信義則によって制限されると解されています。

実務上の判断としては、職員個人への求償は、意図的な行為や悪質な事案に限るべきだと考えます。基本的には求償しません。

通常の業務のなかで生じた事故について職員個人に賠償を求めれば、その職員は辞めます。そして、そのことが職場全体に知れ渡れば、誰もリスクのある利用者を担当しなくなります。介護は人がいなければ成り立たない事業です。

ただし、求償しないことと、処分しないことは別です。手順を無視した、記録を怠った、報告を遅らせたといった事情があれば、懲戒処分の対象にはなり得ます。金銭の負担を求めないかわりに、規律の問題としては明確に扱う。この切り分けが必要です。

職員個人が利用者側から直接訴えられた場合の取り扱いについては、介護事故が発生、介護職員が訴えられたらどうする?をご覧ください。

8.1 施設が、職員から訴えられることもある

見落とされやすいのですが、介護事故をめぐる損害賠償は、利用者側からのものだけではありません。介助中に負傷した職員が、施設に対して安全配慮義務違反を主張する類型があります。

この類型で主張されるのは、次のような点です。

●施設や利用者の規模に応じた人員を配置していなかった

●入浴介助や車椅子移乗など負担の大きい作業を2人以上で行う体制を整えていなかった

●利用者ごとの特性や介助上の注意点を職員に周知していなかった

●不測の事態に他の職員が補助できるよう、マニュアルを整備し指導していなかった

実際に、職員が繰り返し負担の大きさを相談していたのに改善策が検討されなかった、という事情が認定されて施設の責任が認められた事案があります。

つまり、人員配置と介助体制の問題は、利用者に対する責任と職員に対する責任の両方に跳ね返ります。「人手が足りないなかで精一杯やっている」という事情は、どちらの訴訟でも施設を守ってくれません。体制の不備として評価される側に回ります。

そして、職員からの相談を受けながら何もしなかったという経緯が残ると、それ自体が不利に働きます。職員からの相談は記録し、検討した内容も記録してください。対応しきれなかったとしても、検討の跡があるかないかで評価は変わります。

9.平時の備え

福岡高裁の判決が示したとおり、事故前に何をしていたかが、事故後の責任を左右します。

9.1 アセスメントと対策を対応させる

最も重要なのは、「リスクを認識した記録」と「対策を講じた記録」を必ず対応させることです。

アセスメントに「転倒リスク高」とだけ書いて対策の記載がなければ、予見可能性だけが認められて結果回避義務を果たしていない、という最悪の形になります。

リスクを書いたら、それに対して何をするかを必ず書く。そして、実際にやったことを記録する。福岡高裁の事案で施設を救ったのは、シルバーカーに重りを入れたという具体的な対策の存在でした。

9.2 家族からの要望は、必ず記録に残す

家族から「転ばないように気をつけてほしい」と言われたとき、それは予見可能性を基礎づける事実になります。しかし同時に、それを受けて対策を取れば、責任を否定する事実にもなります。

要望を受けた事実、それに対して施設が説明した内容、実施することにした対策。この3つをセットで記録してください。

9.3 事故報告の体制を整える

運営基準では、従前から事故発生の防止のための指針の整備、委員会の開催、研修の実施が求められてきました。これに加えて令和3年度の介護報酬改定により、介護保険施設では安全対策担当者を選任することが義務化されています(あわせて安全対策体制加算が新設されました)。

形式を整えるだけでは足りません。報告が5日以内に上がる動線を、実際に作っておくことが必要です。

現場の職員が「これは報告すべき事故か」を迷わないよう、報告基準を明文化しておくことをお勧めします。前掲の国の基準——死亡事故と、医師の診断を受けて治療が必要となった事故——を、そのまま社内基準として使うのが分かりやすいでしょう。

身体拘束や虐待通報との関係については、介護施設の身体拘束と虐待通報もあわせてご確認ください。

10.よくある質問

10.1 家族が「監視カメラの映像を見せろ」と言ってきました

他の利用者や職員が映り込んでいる場合、そのまま開示するとプライバシーの問題が生じます。一方で、一切拒むと隠蔽を疑われます。

実務的には、該当場面に限定し、他者が映る部分を処理したうえで開示を検討するのが現実的です。開示するかどうかを含め、対応方針は弁護士に相談してから決めることをお勧めします。いったん断ってしまうと、その事実自体が後に不利に働くことがあります。

10.2 事故の直後に、職員から聞き取りをすべきですか

すべきです。記憶は急速に薄れます。できれば当日中に、遅くとも翌日までに聞き取り、記録を残してください。

その際、複数の職員から個別に聞き取ることが重要です。全員を集めて話し合うと、記憶が互いに影響し合って、証拠としての価値が下がります。

10.3 家族が録音していました。問題はありますか

相手方が会話を録音すること自体を止めることはできません。録音されている前提で話すのが安全です。

これは萎縮せよという意味ではありません。録音されて困るような説明をしないということです。確定した事実と未確定の事実を分けて説明していれば、録音されていても問題は生じません。

11.まとめ

介護事故で施設が押さえるべき要点を整理します。

①事故が起きたこと自体で責任を負うわけではない。予見可能性と結果回避義務の2段階で判断される

②判断は割れる。同じ事実で一審2,719万円の認容が控訴審で全部棄却になった事件がある。分かれ目は、危険がその利用者について具体的に記録されていたか、直前の異変を検討した跡があるか、対応が具体的な行為として残っているか。裁判所は「何もしていない施設」と「対応したが防げなかった施設」を区別している

③結果回避可能性が施設側の主戦場になる。転倒は突発的に発生し、常時付き添う以外に防げない。常時付添い義務がないと認められる限り、見守りが途切れたこと自体を義務違反とすることはできない。また「その対策は介護現場で一般的ではない」という反論は正面から通り得る

④リスクを認識した記録と、対策を講じた記録を必ず対応させる。リスクだけ書いて対策がないと、予見可能性だけが認定される

⑤最も多い失敗は報告の遅れ。行政報告は遅くとも5日以内が目安

⑥家族への謝罪は、それだけで責任を認めたことにはならない。ただし「責任があります」という法的評価には踏み込まない。謝罪より危険なのは説明の中身で、自分の対応を正当化する説明が不利に働く

⑦事故に過失がなくても、受診させる判断が遅れれば別に責任を負う。ただし賠償の対象は「遅れたことで余分に受けた苦痛」に限られ、金額は小さい(慰謝料20万円の例)。夜間は配置医や協力医療機関に連絡して指示を仰ぎ、記録を残せば足りる

⑧当初の説明と行政報告書の食い違いは、些細でも不信を呼ぶ。確定と未確定を分けて説明する

⑨介護記録の補記・修正は理由があればしてよい。修正前の記載・理由・日時氏名を必ず残す。元の記載を残していれば、訂正があっても信用性は失われない

⑩相手方は入所前の他院の記録まで取り寄せる。診療情報提供書・看護サマリー・主治医意見書・認定調査票を、引き継いだ時点で確定させておく

⑪行政への報告書の原因欄に、自己批判を書かない。報告書はそのまま訴訟の証拠になる。書くべきは事実であり、原因の評価は第1報で求められていない

⑫記録と食い違う説明をしない。「ずっとそばにいた」と主張することは、そばにいるべきだったと認めることになり、義務の水準を争う道が閉ざされる

⑬再発防止策の策定をためらう必要はない。「当時それをしていれば防げた」という主張は結果論として退けられている

⑭見守り機器の導入で注意義務は重くならない。義務の範囲を画するのは契約書・重要事項説明書の記載。過剰な約束を書かない

⑮見舞金は少額にとどめる。金額が後の交渉の基準になる

⑯示談か訴訟かは、過失の有無で判断する。過失がないのに譲歩すると職員を萎縮させる

⑰職員個人への求償は意図的・悪質な場合に限る。ただし懲戒処分の対象にはなり得る。また、施設は職員からも訴えられる——人員配置と介助体制の不備は、利用者と職員の双方に対する責任に跳ね返る

これらのうち④は、事故が起きてからでは間に合いません。福岡高裁の事案で施設が責任を免れたのは、家族の要望を受けた時点で具体的な対策を取り、それを記録に残していたからです。

記録は、事故を防ぐためではなく、防げなかったときに施設を守るために残すものです。そう考えて日々の記録を見直してみてください。

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2006年、福岡県弁護士会に弁護士登録。
企業法務(使用者側での労務問題、契約書チェック、コンプライアンス体制の整備)、交通事故での損害賠償請求、相続、離婚などの家事事件、企業の事業再生・債務整理その他一般民事、刑事事件等に取り組む。
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